About

真言宗豊山派・宝蔵院について

About

真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)について

平安初期に中国で恵果阿闇梨から真言密教のすべての教義を授かった空海(弘法大師)は、帰国後日本で真言宗を開宗しました。現在の和歌山にある高野山を中心に教えを広めましたが、平安末期には一時衰退。その後、覚鑁(かくばん/興教大師)が弘法大師の教学を復興させ、現在の和歌山に根来寺(ねごろじ)を創建しました。興教大師の教えは脈々と受け継がれ、鎌倉時代には頼瑜(らいゆ)によって新義真言宗が成立。新義真言宗は根来寺を中心に栄えました。

ところが戦国時代には焼き討ちにあって壊滅状態となり、二人のすぐれた学僧である「玄有と専誉」が根来寺を離れることを余儀なくされました。玄宥は京都の智積院で智山派を興し、専誉は奈良にある長谷寺で豊山派を興しました。豊山派の名はまさにこの長谷寺の山号「豊山」に由来するものです。

江戸時代になると長谷寺は豊山派の総本山として、また学問の寺として隆盛を極めました。一方関東では天和元年(1681年)2月7日に五代将軍徳川綱吉が、生母である桂昌院の発願により、上州高崎の大聖護国寺住持であった亮賢を開山として招き、徳川家の祈願寺として「護国寺」が創建されました。江戸における豊山派の一大拠点として、大本山護国寺は関東一円にさらに多くの末寺を増やし、豊山派寺院の繁栄を築き上げました。

真言宗豊山派とは、真言密教を大成された弘法大師とその教えを受け継いだ先人たちの教えを活かし、寺院・僧侶・檀信徒が一体となって、世の中に理想の密厳仏国土を築くことをめざす宗派です。

宝蔵院について

宝蔵院は江戸時代初期の開基と伝えられ、榮賢によって創建されました。当時「下総領築比地村」と呼ばれたこの地を安住の地と定めて祖先の霊を祀り、以来時の推移と共に興隆し、幕末の頃は広大な土地を所有する寺院であったと伝えられます。

しかし、明治32年(1899年)4月22日不慮の失火により本堂・庫裡ともに全焼してしまいました。辛うじて本尊聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)および諸尊像は災難を免れましたが、過去を証する書証などは焼失してしまいました。

大正5年(1916年)に仮本堂が構築されましたが、度重なる戦争・震災・大水害など人災天災を経て、地の利と人の和によって護られてきました。現在の本堂庫裡は昭和52年(1977年)に建立され、平成19年(2007年)には本堂改修増築工事と山門建立など、境内整備を経て現在に至っています。

寺院概要

寺院名(正式)

八幡山寳藏院(やはたさんほうぞういん)

寺院名(通常)

宝蔵院

宗旨・宗派

真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)

電話番号

048-992-1830

アクセス

●住所
〒343-0102
埼玉県北葛飾郡松伏町築比地535

●車でお越しの方
カーナビに「埼玉県北葛飾郡松伏町築比地548」を入力してください(不動堂の住所です)。
※宝蔵院の住所で検索しますと狭い道に案内されますので、不動堂を目的地にお越しいただけますよう、お願いいたします。

不動堂を右手に直進し、宝蔵院の看板が見えましたら右折してください。

●電車でお越しの方
東武野田線(東武アーバンパークライン) 「野田市駅」 「南桜井駅」より車で11分
東武スカイツリーライン「せんげん台駅」より車で15分

●バスでお越しの方
東武スカイツリーライン「せんげん台駅」東口より 「大正大学入口行き」に乗車してください。
「栄光院前停留所」より徒歩5分、または「登戸停留所」より徒歩8分